「仕出しおがわ」で働きませんか?
働く仲間募集中!
≫ 詳しくはこちらから ≪

2022年01月14日

おがわに歴史あり!

(株)仕出しおがわは1957年創業です。


初代料理長の小川容一が、妻のはつ江と
築いたお店が始まりでした。


小川の人生の大きな起点となったのは
戦争体験です。



空軍に所属し、飛行機を作る仕事をしていました。
派遣先は横須賀基地。



時には米軍が目の前を通過していくのを
防空壕からじいと見つめていたそうです。
いつまでこの戦争が続くのか・・時にはそんな思いもよぎりながらも
時代が時代だったので、
ただただその日を生きることで精いっぱいでした。




終戦後、静岡の実家に戻ると、
そこは焼け野原で跡形もない・・
静岡大空襲があり、街の四方八方が爆撃され、
中心部まで焼けていたそうです。




まだ10代のころの話です。
今では想像できないですが、
さほど遠くない時代の話です。
晩年この時代のことを聞くと、
鮮明に覚えていてよく話してくれました。




食べるものがない。職もない。さて困った。あてもなくふらふらしているところに
天ぷら屋さんで若い人を探しているという。

親と行って話して、雇ってもらったそうです。


終戦後でも食需要は多く、
終戦後の兵隊さんたちの宴会で
日々忙しかったそうです。




ここから彼の職人人生がスタートしました。



その後「むらせ」という料理屋に就職し、
親方から料理への情熱、思い、そしてすばらしい技術を背中から学び、育ててもらいました。


こちらの親方からのれん分けしていただいたのが、「仕出しおがわ」の前身となる「むらせ支店」です。



開業当時はスタンド割烹のお店でした。
 
 
おがわに歴史あり!

※左側が容一の妻のはつ江です。
 


夫婦共にお店に立ち、力を合わせて
お店を作っていきました。
宴会での仕出し料理のご注文が多かったそうです。
徐々に給食事業にも発展させていくこととなります。
  


 

終戦から高度経済成長期に向かう最中。
日本中のおなかも心も飢えていた時代です。
皆が必死でした。



そんな中、食がいかに人の心を豊かにするものか。


ごはんが炊き上がる温かい湯気、
出汁のきいたおいしいおかず。



家族や大切な人たちと食を囲むことで
どれだけホッとするものか。


身を以って体感していたことと思います。



生前いつも朗らかで明るい容一でした。



「食で人が笑顔になるのが嬉しい」
「おいしいと言ってもらえるのが何よりの喜び」とよく話していました^^ 





 
「食を通してお客様に笑顔と元気をお届けし、健康的な地域社会に貢献する」


このコンセプトは
開業当時から不変です✨ 



いつの時代でもおいしい料理は
人の心に平和をもたらします。






今年で65年の会社になりました。
これからのこのビジョンの元
発展していきたいと思います。



本年もおがわをよろしくお願いいたします^^









★―――――――――――――☆彡
伊豆厳選市場byえあニコ☆彡

http://air25.jp/i/index.php?mid=1276
伊豆のまだ知られていない
物達に新しい出会いを・・・

当店オススメベスト4
★―――――――――――――☆彡
同じカテゴリー(仕出しおがわに歴史有り!)の記事画像
おせち料理販売中止のお知らせ
お父さんお疲れ様でした
お母さん お疲れ様でした♡
透析大ばぁばの昼ご飯☆
2012年の年末の写真が有りました★
仕出しおがわに歴史有り 2
同じカテゴリー(仕出しおがわに歴史有り!)の記事
 おせち料理販売中止のお知らせ (2017-10-12 23:02)
 お父さんお疲れ様でした (2016-01-22 17:55)
 お母さん お疲れ様でした♡ (2015-10-10 21:26)
 透析大ばぁばの昼ご飯☆ (2015-07-12 16:26)
 2012年の年末の写真が有りました★ (2013-12-17 22:50)
 仕出しおがわに歴史有り 2 (2013-08-05 20:36)

この記事へのコメント
小川さん
歴史読ませて頂きました
私の実家は吉原の宮川町で自営業でしたので 親父が時々「むらせ」」会合?があり土産を持って帰ってきました 多分あの「むらせ」さんだったろうと思います
先代の歴史大切に引き継いでください
Posted by やまめやまめ at 2022年01月14日 09:42
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。

削除
おがわに歴史あり!
    コメント(1)